ミーロの日記

北海道在住の60代主婦です。日々の暮らしの中で起こったささやかな出来事などを書いています。

空間の美しさ

毎日30度を超える暑さの地域の方、特に被災地の熊本の方々には申し訳ないが、今年はクーラーをまだ使っていないくらい涼しい。

あまりに涼しいので今年の農作物は大丈夫かと心配になるが、昔の夏はいつもこんな感じだった。

数日暑い日があって、後は涼しいという夏。

ここ数年の気温の上昇が異常なのだろう。

それにしても熊本の被災者の方々、暑さの中での避難生活は本当に大変だと思う。

娘のいた群馬で数日間過ごした夏は、息をするのも苦しいと思った。

できることなら気温を変わってあげたい。

空気を丸ごと入れ替えることができたらいいのに、、と被災地のニュースを観る度に思う。(どうかご無事でお過ごしください)

ところで数日前、二日ほど地震があった。

揺れは大したことはなかったが、これから先もまだまだあちこちが揺れるのかもしれない。

2018年に起こった北海道胆振東部地震の時は、私の住む地域もかなり揺れた。

揺れがおさまってから二階のリビングへ行くと、足の踏み場が無いほど物が散乱していた。

それほど荷物は多くない方だと思っていたが、それでも棚の上や物入れから飛び出した物で、部屋の中はぐちゃぐちゃだった。

最近よく子供の頃に住んでいた家を思い出す。

祖父母が建てた小さな二階建ての一軒家で、二階を人に貸していたので、下の階の四畳半と六畳の狭い五つの部屋で一家六人が暮らしていた。

その家には、ほとんど家具はなかった。

覚えているのは、父が若い頃から使っていた小さな本棚と小さな机が部屋の隅にあったくらい。

タンスはどうしたのか記憶がないが、服もそれほど持っていなかったので、きっとどこかに服が入っていたのだろう。

椅子もテーブルもなくて、ご飯の時は壁に立て掛けてあった丸いちゃぶ台を持って来て食事をした。

狭くてちゃぶ台に座れなかった祖父は、ストーブが置いてある台の狭いスペースでご飯を食べていた。

床の間に掛けられた掛け軸(狸の絵だった)と木製の鷹の置物が、家の中の唯一の装飾品で、本当に何にもない家だった。

でも今思えば、きれいな空間のある家だったなぁと思う。

昔の日本の建物には、空間の美しさがあった。

時代がすすんで便利で豊かになり、それと共に持ち物もどんどん増えていき、空間の美しさは無くなってしまった。

地震が起きても、足の踏み場がある家にしたい。

空間の美しさがある家に住みたいと、最近よく思う。

 

幸せとは

できるだけ穏やかな気持ちで暮らそうと思っているせいなのか、ここ最近、幸福感がものすごくある。

特別なことは何もなしていなくて、ただ普通に家事をして、食べて、寝て暮らしているだけなのだけど、これがもう幸せでたまらない。

そういえばブログを書き始めた頃、もう20年近く前になるが、ブログのタイトルが今と少し違っていて「幸せになろうね、ミーロの日記」だった。

当時は、本物?の風水師に習いに行ってたくらい風水に凝っていて、風水を使って幸せになる方法など発信していけたらと思って、このタイトルにした。

でも風水だけではダメだということが、だんだんわかってきた。

家を整えたり、吉方へ行ったりするのは、運をあげるには良い方法だと思うが、それだけではダメだということに気づいたのはいつだっただろうか。

幸せを感じる時、それは欲しかったものが手に入った時や夢や希望が叶った時。

でもそれは一時的なことに過ぎない。

時が過ぎれば、また他の悩みや欲しいものが出てくる。

これが解決すれば私は幸せなのに、、、と思うが、いつまでもこの繰り返しは続く。

それが人間であり、成長して行くためにはとても必要なことだと思うが、歳をとってある程度、人生経験を積んだ年齢になった時、ふと、いつまでこれをやっているのだろうかと(私は)思った。

何もなくても、今十分に幸せなのではないかと思ったのは、多分それほど前のことではなかった。

必要なことは、使い古された言葉かもしれないが、感謝することだったと気づいた。

先祖に感謝することから始めて、次は日本の神々に、それから国土に、そして地球にと感謝をしていくと、いつの間にか感謝することが習慣になって、身体の細胞に染み込んで行くような気がした時、大きな幸福感に包まれた。

自分も他人もみんな幸せになって欲しくて、(実は自分が一番幸せを感じていなかったのだけど)、このブログを書き始めたことは、私にとっては、とても大きな意味があったのだなぁと今更ながら思う。

細々とではあるが、ブログを続けていきたいと思う今日この頃です。

 

それぞれの道

次女の結婚式が終わって、忙しかった日々もひと段落つき、長電話しようねと約束をしていた学生時代の友人と、約束通り長電話をすることにした。

昔から興味のあることが似ているせいか、六十代半ばになった今でも話題は尽きない。

でも当たり前だが、違う部分もある。

友人は高校時代から自分が進みたい道が、いつもハッキリとして情熱的だったのに対して、私は友人より情熱少なめだった。

自分のことを熱く語る友人から「で、あなたの希望は何?」と聞かれると、絶対こうしたいという情熱はなく「なんとなく、こうなればいいと思っている」みたいな返事をしていた。

それは大人になっても同じで、専業主婦になって家事と子育てに専念する暮らしを選んだ私と違って、友人は結婚して子どもを産み、海外で長く生活をして、好きな仕事もしてと、自分の夢をどんどん叶えていった。

そしてそんな友人が誇らしくも眩しかった。

友人は65歳になった今でも仕事を続けていて、それはもうライフワークになっていると言った。

「まだまだできることはたくさんあるよ。で、何かしたいと思ってることないの?」と、友人から電話で再び聞かれた時、今度ははっきりと自分がやり続けたいことがわかった。

それは主婦。

また人生をやり直せるとしたら、事情が許せば、きっとまた専業主婦になって、子育てと家事をするだろう。

障害があることがわかった長女の子育ては、悩みの連続だったけど、三人の子どもを育てるのは本当に楽しかった。

三つも宝物を授かったと思った。

どの子も可愛くて仕方がなかった。

それから実は家事をすることが好きだったとわかったことも、専業主婦になってからのことで、家事をしている私をみていた次女が、結婚式で「お母さんは私の憧れです」と、歯の浮くようなことを言ってくれたことは、目に見えて報われる結果が出ない専業主婦にとって、これ以上はないくらいのご褒美を頂いたような気がした。

電話の最後に友人が「結婚式の写真を見せてね」というので送ったら、しばらくして返事がきた。

「あなたがこれまで築き上げてきたことが、写真からありありと伝わってきて涙が流れました。嬉しくて嬉しくて。素晴らしい人生を歩んできたね」

長い付き合いの友人なので、その文面から本当に泣いてくれていることがわかって、私も思わずうるうるしてしまった。

 

熊さんに会うことを恐れて、しばらく通っていなかった道を歩いて買い物に行った。

都会のきれいな道を歩くのも楽しいけれど、やっぱり植物の香りと鳥の声がする森の小道が好きだなぁ。

好きなことは人それぞれ。

それは個性だから、他人と比べる必要なんてまったくなかった。

この歳になってようやく心からわかったことだった。

 

 

梅仕事と心の影響力

ちょっと遅かったけれど、今年も梅仕事の季節がやってきた。

昨年は10キロの梅で梅干しや梅シロップを作った。

梅シロップは早々に飲んでしまったが、梅干しはまだたくさん残っている。

今年は梅を漬けるのは休もうかと思ったが、娘二人から梅シロップをぜひ作ってほしいと要望があり、ならばと梅を六キロをメルカリで買った。

メルカリには、近所の店には売っていない無農薬の梅がある。

梅シロップを作るなら無農薬の青梅が欲しいところ。

ついでに少しだけ梅干しも作ろう。

というわけで、梅を1キロずつ使った梅シロップを瓶に二本作り、残りの梅はしばらく追熟させてから梅干し用に漬けた。

実は失敗だったのが、梅を買う時に無農薬ばかりに気を取られ、「訳あり」と書いてあったのを見逃していた。

値段が安いなと思ったら、これがけっこう傷がある梅だった。

梅シロップにはいいが、梅干しにはちょっと向かなかったかなぁ。

とはいえ農家の方が一生懸命作ってくれた梅なので、無駄にしないように梅干しにしよう。

ところで最近また料理が楽しくなってきた。

食事作りは毎日のことなので、たまに嫌になることもあるが、料理をしていると、余計なことは考えず料理に没頭することができる。

考えることと言えば次の段取りくらいで、あとはひたすら美味しくなることを願いながら体を動かすのが、料理の良いところだろうか。

できるだけ一日一日を穏やかな気持ちで過ごせるように心掛けている。

眠るとき、今日も良い一日だったと思えるように一日を過ごして、少し瞑想してから心穏やかになるものを読んでから寝る。

今、気に入っているのは「きのう何食べた」というコミック。

ゲイのカップルの日々の暮らしと作った料理の話なのだけれど、なぜかこれを読むと、私の場合、平和で穏やかな気持ちになれる。

そして料理が作りたくなってくる。

前は分からなかったが、今は自分の意識が、自分のいる環境を作っていることがわかるようになった。

恐怖や怒りを持ち続けていると、一時流行った引き寄せでは無いが、まさにそのような状況が自分の周りに起こりやすくなってしまう。

そして一人一人の意識が、この世界を作っているのだとすれば、私ごとき小市民でも責任は重大だ。

恐怖や怒りを手放さなければ、いつまでも穏やかで平和で幸せな世界はやってこない。

このように思うこと自体、昔の私なら「何をノー天気なことを」と思ったはずだが、そうではなかったこと、うまく言えないが、心が現実の世界を作っているということに気づいてしまった今、できる限り穏やかな心で毎日を送りたいと思っている。

 

旭岳の雪景色

大雪山の旭岳に行って来た。

遠くに見えるのが旭岳。

六月はまだ雪が残っているかもと思ったら、やっぱり残っていますね、、、

スニーカーで来てしまって大丈夫だろうかと、一抹の不安をおぼえながらロープウェイに乗って、旭岳五合目の姿見駅まで行く。

 

姿見駅で降りたら、いつものように山頂は目指さず周辺を散策することにした。

「一部雪道になっています」とのことで、レンタル長靴を借りようか迷ったが、スニーカーで行けるところまで行こうということになった。

 

こうして見ると、雪は山の表面にさらっと積もっている程度かと思うが、場所によっては10メートルくらいの積雪があって驚く。

素足にサンダル履きのアジア系の外国の方がいて、スニーカー以上の無謀さだと思ったら、やっぱり無理だったようで途中で引き返して行った。

積雪が残るとはいえ季節は初夏。

雪がない場所では、高山植物がきれいな花を咲かせていた。

旭岳も黒岳も大雪山は、これまで何度か訪れているが、なぜか今回ほど感謝が湧き上がってきたことはなかった。

この完璧で美しい自然の営みを続けている地球に生まれることができて本当に嬉しいと思った。

最近もしかすると、これが地球に生まれる最後なのかもしれないという想いがよく湧き上がってくる。

またトンデモナイ話になってしまうが、物心ついてから小学校低学年の頃まで宇宙が見えていたことがあった。

夜に眠れずにいる時、また夜中に目が覚めた時、真っ暗な部屋の中で寝ている顔の上に宇宙が見えた。

時々真っ暗な宇宙を飛んで行くゴツゴツとした岩を、それからたくさんの星々を飽きずに眺めていた。

あの頃は見ようと思えば、暗闇さえあればいつでも見ることができたのに、成長するにしたがっていつの間にか見えなくなってしまった。

というか、自分が見ようとしなくなったから見えなくなってしまったのかもしれない。

またあの宇宙の中を通って、元々いた場所へ還って行くのだろうか、、、なんてことを考えるようになったのは、きっと残りの寿命が徐々に減ってきているからだろう。

この美しい地球の中の、美しい国に生まれたことに、たくさん感謝しながら、多くの時間を笑顔で過ごしたいと思う今日この頃。

歳をとったのかな〜

 

心の力

用事があって街の中心部に夫の運転で車で出かけた。

中心街は車が多くて一方通行の道も有って、本当に走りにくい。

私は絶対に車では行きたくない。

夫もいつも走っているだだっ広い道路と違うのでかなり気をつけていたのだが、駐車場に入ろうとして細い道に入ったら、路上駐車していた車のミラーにうちの車のミラーが擦ってしまった。

助手席側のミラーだったので、助手席に座っていたらけっこうな衝撃を感じたのだが、車を降りて確認したら、うちも相手の車も傷ついていなかったことがわかり一件落着。

乗っていた相手の方がいい方だったのでよかった。

胸を撫で下ろしたと同時に「あぁこれだったのか」と思った。

ちょっとトンデモ話になるが、実は前日も車で出かけたのだが、前日は行く前から「車で事故を起こすかもしれない」という嫌な予感がして仕方がなかった。

そのことは運転する夫には言わなかったが、絶対に事故を回避しなければと思った。

いつもは助手席に座って寝ていることが多いが、この時ばかりは目を光らせながら「左から車来てる!」とか「歩行者いるよ!」とか言って、夫に嫌がられていた。

とりあえず無事に帰ってこれたのでよかったと思っていたが、まさかそれがまだ続いていたとは思わなかった。

この様な予感が現実になるということに気づいたのは、もう数年前からで、最初は私の心配する心がそうさせているのかと思っていた。

でも「こうなったら嫌だ」と思う時の心とは違うことがだんだんとわかってきた。

単に過剰な心配心の時は、それが現実に起こることはない。

でも現実化する時は、全く心配も予想もしてもいないのに、突然降ってくるかの様に心に湧いてきて、もうそれがずっと心の中から消えない。

それも良い予感ではなくて悪い予感というのが嫌なのだが、ほぼ100%現実になる。

例えば旅行に行く前に「予備のメガネが必要になる」という想いが湧いてきて消えなかった時、予備のメガネを持って行ったら、私自身ではなくて、なんと長女のメガネが旅行先で電車を待っている時、突然壊れるということがあった。

緩んでいたネジが落ちて、そのせいでレンズが外れて使えなくなってしまったのだが、旅行中だったので修理にも行けず、長女はぼんやりとした視界で旅行をしなくてはいけなくなった。

まさか長女の方だったとは、、、その時はわからなかった。

またある時は来客があるというので、お気に入りのカップでお茶を出そうと思い、戸棚から出したのだが、カップを手に持った途端「あー割れてしまう」と思った。

まさに突然降ってくる様にそんな想いが湧いた。

「これは使わないでおこうかな」と思ったものの、気をつけて使えば大丈夫だと思って出したら、予感通りに割れてしまった。

もちろん洗う時も割らない様にとても気をつけていたし、戸棚に仕舞うまでの間は、安全だと思っていた場所で乾かしていた。

ところが、その安全だと思っていた場所で想像もしなかったことが起きてしまった。

すこし高い場所に置いてあった置物が、カップの上に転がり落ちるという信じられないアクシデントが起こったのだ。

それによって予想通り、二脚のカップは修復不可能なくらい割れてしまった。

できれば置物の方に壊れて欲しかったが、やはりそうだったかと妙に納得できた出来事だった。

これら起こってほしくないことが事前にわかる(かもしれない)というのは、ついている先祖霊などが注意しなさいと知らせてくれているものなのか、はたまたそれらの予感は、無意識の自分の思い込みで、すべては自分が起こしていることなのだろうか。

自分が起こしているとしたら、あまりにも怖すぎるので、先祖霊からの注意勧告だということにしておこう。

とはいえ、誰でも心の力というのは想像もつかないくらい強いのだと思う。

中村天風氏は「心の力は、運命よりも勝る」と言っている。

何かでつまずくと「仕方がない。運命だった」とあきらめる人がいるが、心の力で人は運命に負けることなく乗り越えていけるのだという。

それは「積極的な人生態度でいる事と、常に感謝と喜びの気持ちを持つ事」だという。

自分の人生は、人に決めてもらうのではなく自分で決める。

いつも楽しく感謝して生きる様に心がける。

とはいえ人間だもの、そうそう毎日楽しい気持ちではいられないが、私は一人でいる時に口角をきゅきゅっと上げて、毎日作り笑いをすることにしている。

鏡を見ながらでも、思い出した時にでもそれをすると、別に楽しくもないのに、何となく楽しい気持ちが湧いてくる。

歳を取ると、口の横にマリオネットラインというシワができてくるが、口角を上げるのは、しわの防止にも効果があるので一石二鳥という感じだろうか。

というわけで、久しぶりのブログの更新はトンデモ話でした。

 

東京観光あれこれ

長いこと行っていなかった東京へ行ってきた。

飛行機を降りると、湿気を含んだ暖かい空気と微かに香るお醤油の匂い 。

東京へ来たという実感がひしひしと湧き上がってくる。

二十代で初めて東京観光をした時は、当時の若者の憧れの街だった渋谷へ行くのを楽しみに来たが、正直東京は「あまり面白くない」と思った。

勤めていた職場のおしゃれな同僚らと来たものの、洋服屋さんを見て歩くのは、あまり好きじゃないということに、どうしてあの当時気づかなかったのだろう。

いや本心ではわかっていたけれど、みんなに合わせないといけないと思っていたから、面白くないけど面白そうなフリをしていたのだ。

だけど今はもうそんなことはしない。

生きられる時間の方が短くなった今は、楽しいと思うこと、やりたいことだけを極力したいと思う。

家族も一緒だったが、それぞれが行きたい場所を提案して、お互いが納得して行く場所を決めたので、若い頃に思った「東京は面白くない」から「東京は楽しい」に変わった旅になった。

東京は植物が本当に多い街だと思う。

どこへ行っても手入れがされた植物たちがいて、そして古き良きものと近代的なものが、美しく調和している。

こんなに便利で美しい街だから、外国人観光客が大勢やってくるのもわかるような気がする。

ところで外国人観光客と言えば、初めて昇ってみた東京スカイツリー。

驚いたのは、スカイツリーに来る人の97%が外国人だったということ。

周りは外人ばかりで日本人の姿がほとんど見当たらなかった。

こんなに大勢の外国人観光客が毎日押し寄せるなら、入場料の収入もさぞやすごいだろうと思うが、どうせなら外国人価格で、もう少し頂戴してはどうかと思ったりして、、、

 

スカイツリーから見た東京の夕暮れの景色がきれいでした。

 

さて東京へ行った目的のひとつが、実は神社を巡ることだった。

東京大神宮を始め、いくつかの神社を参拝した。

どの神社もよかったが、意外にもすごくよかったのが靖国神社だった。

ここは夫の強い願いで参拝することにしたが、やや霊媒体質のため、行くのはちょっと怖いかな、やめておこうかと思ったりもしたが、鳥居の外から見ただけでぜひ参拝させて頂きたいと思えた。

きっと長い年月を、多くの方が丁寧に手をかけて、大切に祀られてこられたのだなぁと思う。やはり行ってよかった。

神社のほかには、行ってみたかった神保町の古本屋へ行ったり、博物館へ行ったり。

そして忘れられないのが、葉山と逗子に足を伸ばしたこと。

京浜急行電鉄が出している「葉山女子旅きっぷ」というのを利用して三浦半島を巡ることができた。

女子旅と書いてあるが、男子でもオッケーで電車代、葉山逗子を周るバス代、食事代などが含まれていてとてもお得だった。

食事以外にごほうび券というものが付いているので、スイーツだったりお土産だったり、好きなものと交換できる。

私たちは遊覧船観光を選択したが、サザンの曲を頭の中で響かせながら江ノ島を間近で見ることができたのは、満足度がかなり高かった。

都内の電車の券売機で、最初どうやって買うのかわからずモタモタしていたら、「わかりますか?」と声をかけてくれた若い女性。

「なんとか、、、大丈夫です」と答えたが、買い終わるまでずっと隣で見守ってくれた。

優しい人がいるものだと思った。

この様な方たちが大勢すむ場所が、これからも守られます様に。